TOSCANA / SIENA

美しき古都シエナを歩く

赤茶色の屋根が連なり、丘の起伏に沿って家々が重なっていく。遠くに白黒の大聖堂が静かに浮かび、空は思いのほか広い。 保存された町並みの美しさだけでなく、色や光の入り方まで含めて“中世の空気”が今も息づいている。 この景色を前にすると、自然と歩き出したくなる、それが古都シエナだ。

SIENA FROM ABOVE

高台から眺めると、赤茶の屋根がゆるやかな丘に折り重なり、遠くで鐘の音がほどけていく。高層のない街並みは空を大きく見せ、 雲の動きまでも景色の一部になる。街全体が世界遺産に登録されているのは、建物の保存だけでなく、都市のかたちや色、光の入り方まで 含めて過去から続く“時間の層”が今も感じられるからだ。

Siena rooftops and sky from above
Siena from a vantage point — 屋根と空が出会う場所。

視界いっぱいの屋根と空は、これから始まるシエナ散策の気持ちをそっと整えてくれる。

DUOMO & PICCOLOMINI

シエナの旧市街を歩いていると、白と黒の縞模様が空の光を吸い込むように立ち上がる。 この街の象徴、シエナ大聖堂。外観の繊細さに圧倒されるけれど、本当の驚きは中に入ってから訪れる。

Siena Cathedral facade with black-and-white stripes
Siena Cathedral — 白と黒の縞が空を切り取る。

ドアをくぐった瞬間、空気が変わる。高いアーチ、幾重にも重なる柱、床に広がる装飾。 「こんな場所をよく作れたな」と、誰もが一度は心の中でつぶやいてしまうことだろう。

Inside the Duomo: columns and arches
Columns & Arches — 内部空間のリズム。
Stained glass in the cathedral
Stained Glass — 光が色になる瞬間。

奥に進むと、ピッコロミニ図書館の息を呑む空間が現れる。壁と天井を埋め尽くすフレスコ画の色彩は、 絵を見るというより“浴びる”感覚に近い。

Piccolomini Library: frescoed ceiling
Frescoes — 天井まで満ちる物語。
Piccolomini Library: vibrant wall frescoes
Color & Light — 色彩を“浴びる”。
Illuminated choir manuscript in Piccolomini Library
Illuminated Manuscript — 巨大な楽譜が放つ存在感。

そして、巨大な楽譜。中世から残る聖歌の写本で、ひとつのページがまるで祭壇画のような存在感を放っている。 音楽も文字も、当時は芸術そのものだったのだと実感する瞬間だ。

大聖堂と図書館は、シエナの誇りそのもの。⼀歩ごとに、この街が積み重ねてきた時間が静かに響いてくる。

THE QUIET RHYTHM OF SIENA

シエナの道は、どこか不思議な静けさをまとっている。観光都市の喧騒とは少し違う、 暮らしの気配に近い静けさだ。坂を上ったり下ったりしながら歩いていると、息が切れるほどではないのに、 身体のリズムが少しずつ街に合っていく感覚になる。

石畳はしっとりとして、曇り空の下では穏やかな色に変わる。角を曲がるたびに人の影が揺れ、 窓辺の植木鉢や干された洗濯物が、ここに暮らす人の時間を少しだけ教えてくれる。

Streets of Siena with gentle slopes and stone walls
Streets of Siena — 静けさが街を包む。
Fontebranda — flowing spring water behind stone walls
Fontebranda — 湧き続ける水の音。

街の中心から少し外れた場所に、フォンテブランダの湧水がある。古い石壁の奥から水が絶えず流れ出し、 その音だけが空気を満たす。観光名所というより、街の暮らしの延長にある静かな場所。 ただ水の流れる音を聞いていると、歩き疲れた身体のリズムが自然に整っていく。

晴れでも雨でもない曇りの日でも、シエナは決してくすまない。むしろ、石と風と光のすべてが少し柔らかくなって、 歩くたびに街の“呼吸”がじわっと伝わってくる。

Soft light and muted colors in Siena streets
Soft Light — 曇り空がつくる静かな表情。

TASTES OF EVERYDAY SIENA

カンポ広場のそばに、見た目はごく普通なのに、忘れられない味を作る店がある。 Il Bocconcino。地元の人も観光客も、ここではメニューを前に少しだけ迷う。 39種類のパニーニ。そこにソースやチーズの追加を合わせれば、選択肢はほぼ無限大だ。

パンは注文後に軽くトーストされ、外は香ばしく中はふんわり温かい。 生ハムは熱で脂がじわっと溶けて、チーズだけが静かにとろける。 ただ組み合わせが多いだけの店ではない。 ひとつひとつ作り方に“理由”があって、だから美味しい。

Panini from Il Bocconcino
Il Bocconcino — パニーニの幸せ。
Panini varieties at Il Bocconcino
39種類のパニーニから選べる。
Papiini bottled juice — SPUMA BIONDA and CEDRATA
Papiini — トスカーナのローカルドリンク。

歩き疲れた午後には、トスカーナのローカルドリンクがよく合う。 Papiini の瓶ジュース。SPUMA BIONDA(甘いサイダー)や CEDRATA(柑橘の香り)を片手に、 広場の縁に腰掛けてひと休みすると、ただの休憩が“小さな思い出”に変わっていく。

夜は、Osteria Permalico のラザーニャ・ビアンカとビステッカを。 大げさな料理ではないけれど、それぞれに丁寧な仕事があって、 「シエナで食べると、どうしてこんなにおいしいんだろう」と思わず呟きたくなる。

特別なレストランでなくても、シエナの食はいつだって誠実だ。 旅の途中でふと訪れる味が、静かに記憶に残っていく。

Lasagna Bianca at Osteria Permalico
Lasagna Bianca — 素朴でやさしい味。
Bistecca at Osteria Permalico
Bistecca — じんわり満たされる一皿。

PALIO — PRIDE OF SIENA

年に二度だけ、シエナの空気がわずかに高ぶる日がある。
7月2日〈聖母マリア訪問の祝日〉
8月16日〈聖母被昇天の翌日〉
この二日間だけ、カンポ広場は砂で覆われ、街がひとつの鼓動を持つ。

  • Campo Square covered with race sand
    Piazza del Campo — 砂に覆われる広場。
  • Palazzo Pubblico close-up façade
    Palazzo Pubblico — プブリコ宮殿。

17ある地区(コントラーダ)のうち、走れるのは10組。二度目の開催では、前回出場できなかった7地区が優先され、残る3枠は抽選。 同じ年に二度走れることは“ほとんど奇跡に近い”と言われ、その誇らしさは掲げられる旗や装飾にも自然と表れる。

Palio parade flags and contrade colors
Contrade — 誇りの色が街を包む。

コースはおよそ300mを3周。緩いカーブなどひとつもなく、急旋回の連続。騎手が落ちても、馬がゴールすれば勝ちとなる独特のルールは、 “馬こそ主役”というこの祭りの精神そのものだ。

  • Palio race — tight corner action
    The Curve — 急旋回の攻防。
  • Palio finish — horse as the winner
    Finale — 馬こそ主役。

自分が訪れたのは開催日ではなかったけれど、広場に立つと、不思議と熱気の残り香がある。建物に掲げられた旗や、 店内に飾られた優勝の写真を眺めていると、「この街の誇りは日常の中に息づいているんだ」と自然にわかる。

パリオを知らずにシエナを語ることはできない。けれど、ほんの少し触れるだけでも、この街の心臓のリズムが感じられる。

AFTERWORD

シエナには、季節ごとに街の鼓動が変わる瞬間がある。夏は、石畳に残る熱と人々のざわめきが重なり、 息遣いが少し荒くなるような、前へ押し出される活気が満ちていく。

やがて秋が近づくと、トスカーナの丘は深い色に染まり、街もどこか落ち着いた影をまとう。 それは寂しさではなく、季節がゆっくりと姿を変えていく静かな余韻だ。

冬の訪れとともに、シエナはそっと歩みを緩める。冷たい風が曲がり角を抜け、澄み渡る空が広がると、 街はまるで短い眠りに入ったように、重ねてきた歴史を抱えて静かに息をつく。

そして春の柔らかな光が差すころ、その静けさはゆっくりと温度を取り戻し、ふたたび人々の暮らしへと溶けていく。 季節の移ろいの中で、街は衰えることなく、ただ自分のリズムで呼吸を続けている。

シエナを歩いた時間が心に残るのは、季節の息遣いまでが、旅人の中に静かに染み込んでいくからだ。